東京高等裁判所 昭和50年(ネ)2546号・昭50年(ネ)2199号 判決
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【判旨】
亡イエの第一審被告合資会社石崎における本件事故発生前六か月間すなわち昭和四六年八月から昭和四七年一月までの月平均稼働日数は二三六日であり、事故当時の日給額は一、五〇〇円であつたこと、昭和四六年四月第一審被告株式会社茨城石崎に工員として入社し、パイプ切断補助作業にも従事したことがあり、本件事故当時亡イエと同じく日給一、五〇〇円であつた本間やえ子の日給額は、その後第一審原告ら主張のとおり増額されており、その年収額は昭和四七年度五五万二、九七六円、昭和四八年度八五万〇、〇三一円、昭和四九年度一〇八万五、四一五円、昭和五〇年度一一四万四、八〇六円となつており、その後も日給額は増額されて昭和五二年二月からは四、二〇〇円となつていることが認められる。以上の事実を考慮すれば、亡イエがその死亡の日以後に得べかりし年収は、少なくとも第一審原告ら主張のとおり最初の一年間は五四万二、五九五円、それに続く三年間は各一年毎に六〇万八、七八七円、一〇一万六、二五三円、一一四万四、八〇六円を下らないものと推認するのが相当である(もつとも、第一審原告ら主張の年収額はその始期を一月一日とするものであり、したがつて右推認される年収額の始期と一か月一四日のずれがあるが、この事実も右判断を異ならしめるものではない。また、本間やえ子の昭和五〇年度の年収額は第一審原告ら主張の亡イエの同年度の年収額よりも少ないことは<証拠>に照らして明らかであるから、亡イエの死亡後四年目の年収額は右本間やえ子の昭和五〇年度の年収額の限度において認めるのが相当である。)しかしながら、その後、すなわち昭和五一年二月一五日以降においては、さらに亡イエの年収額の増加を肯認すべき資料に乏しいから、同日以後の各一年毎の年収はいずれも四年目の年収額すなわち一一四万四、八〇六円と認めるのが相当である。
(安藤覚 森綱郎 奈良次郎)